神代桜は、樹齢2000年とも言われるエドヒガン種の古木で、日本三大桜の一つ。(岐阜県本巣市「薄墨桜」・福島県三春町「滝桜」)大正11年国指定天然記念物第1号に指定

実相寺ホームページから引用

日高神代桜(じんだいざくら)推定樹齢2000年日本一古い桜で桜の天然記念物1号の生命力!

 2021年3月30日(火)春から就職が決まった息子と、日帰りで山梨に大学の卒業記念のプチメモリアル旅行。桜の旅立ちにあわせて、この推定樹齢2000年日本一古い日高神代桜(じんだいざくら)をみせたかった。

 それにしても、幹が折れても、まだくたばってたまるかというような枝の力強い伸び方がなんともいえず、ため息を支払うしかできない。

 竹内まりやさんの「人生の扉」を聴きながらブログを書いている。自然美からインパイアされ、なにかしら恩恵を得て、こうして名曲はつくられるんだなと思わされる。どんな芸術も自然の美しさにはかなわない。されどそこから挑戦ははじまり、模倣し、憧れをエンジンにして創作ははじまる。「人生の扉」のイントロが素晴らしく、竹内まりあさんの声がこころに沁みてくる。たくさんの人を励ましている桜のように。

 日本は神の国と言われる、それはこうした自然美を人が育て、守っていく心根が大地にしみ込んでいるからだろう。地元の人は毎年桜に足を運び、ため息をつき、桜の前で笑顔と愛嬌、旅立ちの志を咲かせる。いつのまにか桜の木にこうした愛情が宿っていくようだ。この神代桜の略歴を読んでいると、何度も神代桜は枯死の宣告をうけているのがわかる。だが何度でも、何度でも立ち上がる。桜も、まるでその感謝にこたえるように美しく大空にむけて力強く咲いている。僕にとって3度目の神代桜、ありがとう。

山梨県実相寺(じっそうじ)

実相寺正門

実相寺 水仙

 実相寺の正門をくぐると、一面に水仙の花が咲いていた。時の洗礼をうけたような清浄な匂いを胸にすいこんだような、ファンタジックな純白の桜のトンネルを通ると本堂にでた。息子に一様な作法をおしえながら手水舎で手を清め、お線香を求め、線香をたむけた。煙でコロナ禍で息苦しい気持ちを清め、賽銭をあげて「愚痴はいわないように」とだけ息子にお節介を渡した。「こういう経済的活動をなんというか知ってる?」と質問、「線香投資」。頭の回転はいいようだ(笑)

実相寺 正門

実相寺 日蓮聖人

当山は日蓮聖人を開祖とする日蓮宗の寺院で、同県にある総本山身延山久遠寺の直末の寺院であります。 日蓮聖人を身延山に招いた波木井六郎実長(はきいろくろうさねなが)の四代あとの伊豆守実氏(いずのかみさねうじ)が、身延山第五世鏡円阿闍梨日台(きょうえんあじゃりにったい)上人の弟子となり、實相院日應(じっそういんにちおう)と名のりました。日應上人は身延山鏡円坊の第四世を歴任。永和元年(1375)日應上人は、山高村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義を論じ合いついに論破いたしました。日應上人は法印より寺を譲り受け、この時日蓮宗に改宗して大津山實相寺と称しました。 その後、永禄四年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄(1521~1573)は蔦木越前守(つたきえちぜんかみ)を当山第七世日忍上人の元に遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼の城址を寄進され現在の地に移転しました。 實相寺は元文元年(1735)及び弘化四年(1848)に二度の火災にあい歴史的建造物や寺宝等は残っておりません。『甲斐国志』には、「仏堂、僧堂、番神堂、常唱堂、鐘楼、法蔵、総門等備ハレリ」とあり、多くの伽藍が建立されていた事がわかります。また過去には七面大明神をお祀りする七面堂などもありました。

実相寺ホームページ

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投稿者プロフィール

渡部雅泰ライター
クレストデジタルズ株式会社
代表取締役
渡部雅泰(わたなべまさやす)
東京都武蔵野市吉祥寺在住

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中小企業家同友会
倫理法人会
海外旅行100回以上(大学卒業後旅行代理店勤務、主に海外旅行を担当)
家族で全県宿泊挑戦中(家族で23/47都道府県)
2016年お遍路逆打結願
山下達郎さんの大々ファンです、愛媛FCボランティア