楽しくお話しし本をつくりましょう、お客様の面白さ、人柄を引き出すのが仕事です(^O^)編集者は海外添乗100回以上、国内全県家族で宿泊、お遍路結願、愛媛FCボランティア等経験

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編集者プロフィール



クレストデジタルズ株式会社
編集者
渡部雅泰(わたなべまさやす)
東京都(吉祥寺)在住


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プロフィール

愛媛大学非常勤講師
中小企業家同友会
倫理法人会
国内、海外旅行100回以上(大学卒業後旅行代理店勤務、主に海外旅行を担当)
家族で全県宿泊挑戦中(家族で23/47都道府県)
2016年お遍路逆打結願
坂東三十三観音巡礼中

趣味:音楽(山下達郎熱烈ファン)、読書、温泉、愛媛FCボランティア、福岡ダイエーホークス、漫画(水島新司)、アマチュア無線

 

自叙伝への思い。見知らぬ人の本(自分史)を読んでお遍路を廻り始めた

私は30代半ばまで、旅行会社で働いていました。時はバブル、世の中はギラギラしていた頃でした。海外旅行は100回以上添乗したものです。

1995年COMDEXというラスベガスの展示会、WINDOWS95が紹介され、世の中がインターネットへ。1998年にはIT業界に起業しました(いつかそのことも書きます)。今はそれを生業としています。でも、いつも心にあるのは旅の素晴らしさでした。ただならぬ出会い、抜き差しならない出来事が何度あったことでしょう。

この「私のお遍路日記」は発売されてから10年たっているんですが、徐々にひきこまれて浸食させて、読み終わるとお遍路への思いが扇状地のように広がり、よし封印していた旅に出ようと、僕の背中を押してくれた本です。ただ、この本が、各札所の説明や、お大師様のことを書いている本だったら、そうはならなかったと思います。一人の女性のお遍路の日常にすんなり納得できて、今も彼女は瞼を閉じて、歩き遍路をしている自分に会いにいってるんじゃないかと想像できるところが、秋晴れのようにすがすがしく、なんか僕にもできそうと思わせてくれました。

「私のお遍路日記」を読んでいると、放たれる熱量がなんともいえません(プラスもマイナスも)。残念ながら、歩き遍路ができる時間はないので(1400kmですから)、それは、どうしようもないことなので、バスツアーなら行けそうで、いよいよ四国遍路をしてみようと思い立ちました。歩きでないと、御利益ないかなと・・常々思っていたのですが、「バスツアーでもいいよ」と等身大でこの本が教えてくれました。

思いたったら風の如し、バスツアーを申し込みに行くと土日遍路日帰りというのがあって、1年かけて全16回で四国88カ所をまわれるものがあり、それに決め打ち。順番通りにまわれず、パズルのような組み合わせの旅になります。初回は10月31日(土)24最御崎寺、みくろ洞、25津照寺、26金剛頂寺、27神峯寺を巡ります。お大師様が修行をされ、空海を名乗った場所からのスタートです。

身長180cmを越え身体がでかいので(笑)、最初白衣のサイズがないのであきらめようかなと思ったのですが、いきなりそれでは失礼かなと思い、とあるお店に電話で問い合わせ。通常買えば3,000円程度なのですが・・・「オーダーメイドしたらいくらですか?」ときくと「13,000円です」・・・ううう高すぎるよ・・・・「申し訳ないのですが特注なので値段も高いのです、いかがしますか?」と・・。えーい清水の舞台から飛び降りた気分ではありましたが、思い立ったが吉日、猪突猛進で注文完了。スーツが営業の戦闘服のように、やはり白衣(びゃくえ)でないとなりませぬ、なりませぬです。

到着したら、チェホンマンが入るくらいのでかいのでびっくり仰天。(汗)まあ、これもお大師様の手の内ですよね。

作者の自分史(お遍路日記)を読みながら、この本とめぐりあえたからこそ、私はお遍路へ足を踏み出したのです。

自分史、自叙伝にはそんな誰かを動かす潜在力エネルギーがあると思うんです。(キッパリ!)


お遍路ブログ
2016年逆打お遍路を回った記録のブログです。
お遍路廻られた方がいらっしゃったら・・・
と出会いに胸を膨らませます。

 

記録すると、プンと立ち上がる情熱のエネルギー

 百田尚樹さんが、大正生まれの男達のことを書きたかったと語っていました。
「永遠の0」で特攻に行ったのは大正時代の男達です。「海賊とよばれた男」もそうです。大正の後半世代の人は本当に不幸な世代。人生最高のときを、彼らは地獄の戦場で過ごしました。
 戦争に負け、ボロボロになって日本に帰ってきても、「お国のために戦ってくれた兵隊さん、どうもお疲れさんでした。あとはゆっくり休んでください」と労ってくれる祖国は、どこにもなかった。改めてそのことに気づいたとき、僕は大正世代のすごさに、深く感じ入りました。この日本にいて、この豊かさの上にあぐらをかいて、先人が残してくれたものをムシャムシャ食べるだけ食べて、腹一杯になったからもう死にますわと、そんな人生を過ごしたら、あの世で父親や伯父さんに顔向けできない。 
 先人が残してくれた、この豊かな素晴らしい日本に、少しでも豊かさを上乗せしたい。あるいはこの豊かさを維持したまま次の世代に渡していきたい。

 誰にでも100年先の代々の孫にも何かしら残したいと思うことはあるのではないでしょうか。いや、100年先の子供達は先祖の歴史を知りたいはずです。それは、水のごとく自然な気持ちのような気がします。
 世の中には先祖がどんな人生を歩んだか興味がある人はたくさんいます。戸籍謄本、除籍謄本をたどれば150年前までは役所でたどり着けます。その先は菩提寺が同じならば寺の過去帳で更にたどることが出来ます。先日私が、自叙伝を書かせていたお客様は家系図をつくると、慶長の年号(1569年~1614年)までたどり着きました。そこからたどると十二代目が父親だと言うことがわかりました。そして記録が残っているところまでの家系図をおつくりになったのです。もちろん費用もかかったでしょう。そのお客様に、座右の銘をうかがうと「親孝行」とおっしゃりました。先祖のことを400年たって、たどる人がいらっしゃるのです。先祖を大切にする人は、自分を大切にできる人だと思います。思いやりという言葉が浮かんできます。

 そして、100年後そんな子孫に思いを馳せ、命の連鎖を大事に思いながら、文章を残すのも楽しいと思います。自叙伝を書く目的などを考えると、答えのない問題を解くようですよね。それでも、子孫で誰かが読んでくれたりしたら、深い絆を感じるのではないかと思います。

 自叙伝を書き出すと、のっぴきならないところから、知恵や情熱が立ち上がるようです。
 皆さん、自分を通り過ぎていった数々の出来事、横切っていった人々の出会い、数々の人生の選択などを、もう一度追体験できるのでしょうか、皆さん元気になります。

 そして私たち編集者は、第三者の目として客観的な目でアドバイスをし、お客様の魅力や面白さを引き出すよう心がけます。

 はじめてのチャレンジに、ご安心できる、相談相手でありたいと思います。よろしくお願いいたします。



 

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