五木寛之先生の「人間の覚悟」をかみしめる

 コロナ禍でいろいろ本を読んでいるなかで、五木寛之先生の「人間の覚悟」をかみしめる。
 

第一章 時代を見すえろ

地獄の門がいま開く闇が深さを増してきました。
時代は「地獄」へ向かって、劇的に近づきつつあるようです。母親の子殺し、無差別殺人はすでに衝撃的な事件ではありません。

生き物の予感、民衆の察知力というのは、じっはすごいものがあります。まもなく地獄がやってくるという予感が、野ネズミの感覚のように、人間のあいだに広がっているのかもしれません。それが社会全体に満ちてきて、その中でも特に敏感な小動物が発狂するように、自損行為や他損行為が激増しているのではないか。

「覚悟」という言葉はもともと仏教用語で、辞書には「迷いを去り、道理をさとること」とあります。他に、「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、そして「あきらめること、観念すること」があります。


それを覚悟のひとつとすれば、「人間はどう生きるべきか」が問題なのではなく、「人間は、今こうして生きていることにこそ価値がある」、と、そう思いつづけているのです

” 今までは、いかに生きたか、ただ生きているだけでは意味がないではないか、そう言われつづけてきたと思います。しかし、ただ生きているだけで意味がある。

 哲学者のようにものを考えなくても、みすぼらしくても生きて存在している、それだけですごいことだと私は田心います。上から見るように「如何に」は問わない。下手くそでもくだらなくても少々いい加減でも、とにかく生きていることはすごい、と自分のことを認めてあげたらいいと思います。
 
 普段は気がつかないだけで、生きるということの大変さに自分で気がつくと、それだけで押しつぶされそうになります。生きているだけでどれほどの努力があり、他力が必要なのか、それを自分自身が納得しなくてはならないのです。
 
 人が身をよじるような苦しみや悲しみも、結局どこまで行っても他の人に代わってもらうことはできません。全ては自分一人で引き受けなければならないのです。天気と同じように、時代には晴れも曇りも土砂降りの雨もあります。そして大きな流れとして見れば、今は黄昏であり、下山する方向で進んでいることを覚悟しなくてはなりません。
 
 歴史を見ればわかるように、時代の流れはそうやって何十年かおきに坂を上ったり下ったりするものです。全てが移り変わっていくなかで、人は「坂の下の雲」を眺め、谷底の地獄を見つめなければならない時がある。だからこそ「覚悟」が要るのです。

投稿者プロフィール

渡部雅泰ライター
クレストデジタルズ株式会社
代表取締役
渡部雅泰(わたなべまさやす)
東京都武蔵野市吉祥寺在住

profile
中小企業家同友会
倫理法人会
海外旅行100回以上(大学卒業後旅行代理店勤務、主に海外旅行を担当)
家族で全県宿泊挑戦中(家族で23/47都道府県)
2016年お遍路逆打結願
山下達郎さんの大々ファンです、愛媛FCボランティア